勝俣です。ヨーロッパコース12日目はUnité Mixte de Physique CNRS/Thales associated with University Paris Sud (UMPhy)に訪問しました。
UMPhyは、フランス最大の国立基礎研究機関であるフランス科学国立センターと、航空宇宙や軍需産業を扱うフランス大手企業Thalesと、大学の共同研究所です。現在、2007年に巨大磁気抵抗効果の発見でノーベル物理学賞を受賞したAlbert Fert氏が科学ディレクターを務めています。今回は、UMPhy にある5つのスピントロニクス関連の研究所を、Bortolottiさんに案内していただきました。
・UMPhyの概要(Dr. Bortolotti)
CNRSは公的基礎研究、Thalesは新しい製品開発を目的として、UMPhyは設立しました。これらの異なる目的は、Bortolottiさんがここで働く理由でもあるそうです。どちらか一方しか考えていないと、自分の視野が狭くなってしまいます。共同研究所で働くことによって、新しいアイディアを考え、イメージし続けることができるとのことです。UMPhyは企業、研究所、大学の人以外にも、インターンシップの人もおり、様々な国・環境の人と働くことができ、コネクションも作りやすいとのことです。BortolottiさんはThales側の人間として働いているため、新しいイメージやアイディアをどう実行していくのかを考えることが仕事の役割だそうです。
UMPhyでの研究内容は、「スピントロニクスとナノマグネティズム」、「高温超伝導と信号処理」、「機能性酸化物」、「Transverse operations」、「Transverse axis」などです。
UMPhyは国際ワークショップや国際会議も開催したり、一般人向けの研究室公開の日を設けたり、大学でプレゼンを行ったりと、外部との関わりにも非常に積極的でした。日本とのワークショップも行っており、2年前がちょうど20周年だったそうです。Bortolottiさんは、様々な機会を設けることで、どのような技術が必要とされているのかを理解することが重要だと考えており、実用化から遠いアイディアをビジネスに結びつけていきたいとのことでした。
・MTJ(磁気トンネル接合素子)s for emission & detection
アメリカ出身の博士研究員の方がこの研究室の紹介をしてくださいました。
ここでは、スピントランスファーを用いた無線周波数の信号探知の研究を行っているとのことです。磁性/非磁性/磁性の3層構造のナノピラー試料に無線周波数のソースで電流を流したときの電圧応答をナノボルトメータを用いて測定します。このとき、弱い信号(特に0.4mA以下の低電流)での応答と、強い信号(特に0.4mA以上の高電流)での応答とでは、電圧の周波数依存性が異なるそうです。弱い信号ではスピンダイオード効果が観測され、強い信号では共鳴周波数において磁気渦構造(特異点を中心に磁化が面内を一定方向に回転している構造)の消滅に伴い鋭く大きな電圧変化が起こるのです。後者の電圧変化が信号探知の感度を高めるため、無線周波数の探知器に繋がるとのことです。利点は、ナノサイズの素子となること、電流は高い信号といえど数mAで済むため低エネルギーに繋がること、半径や外部磁場を変えることで共鳴周波数を変えることができることなどです。一方で欠点は、磁気渦のコアの歳差運動により位相ノイズと振幅ノイズの2種類のノイズが生じることで、これらのノイズを低減することが課題だと教えていただきました。
実験室には、1~7[T]の磁場をかける装置が4つありました。学生としては、大きな磁場の印加は、様々な磁気特性を観察することができて非常に興味深いとのことです。一方、Thales側からすると、これほど大きな磁場での実用化は困難なため、小さい磁場で実験を行って欲しいと思っているそうです。共同研究ならではの意見の違いを聞くことができました。
リソグラフィを用いてナノピラー試料を作製し、様々な装置に接続して分析するそうです。電圧測定のためのオシロスコープやスペクトラムアナライザ、コイルに電流を流すための電源装置などがありました。
・Spin-orbitronics (Dr. Reyren)
Spin-orbitronicsは、ノーベル賞受賞者であるAlbert Fertさんの最新の研究トピックスでもあるそうです。ここでは、Nicolas ReyrenさんにSpin-orbitronicsの基礎的なことから、最先端のことまで非常に詳しく説明していただくことができ、知識を深めることができました。
まず、ポスターを使って基礎知識を教えていただきました。スピンホール効果は、電流を流すと電流と垂直方向にスピン流が生じる現象で、この効果により非磁性層でもスピン流を流すことができます。Rashba効果は、非磁性体の表面や界面において空間反転対称性が破れ、アップスピンとダウンスピンの縮退が解ける現象です。Rashba-Edelstain効果は、ラシュバ効果が発現している系に電流を流すとスピン蓄積が生じ、逆Rashba-Edelstain効果ではラシュバ効果がある系にスピン流を流すと電流が生じ、これらの効果によってスピン流と電流の変換が可能となります。
次に、磁性スキルミオンについてスライドで説明していただきました。
メモリ・ストレージ技術として磁壁移動型のレーストラックメモリが注目されています。しかし磁壁移動型メモリは、駆動電流が大きいためにエネルギー損失が大きいことと、熱揺らぎによる不安定性がることが欠点です。そこで、磁壁ではなく”スキルミオン”を利用したメモリを作ろうと考えているそうです。
スキルミオンは、Dzyaloshinskii -Moriya効果に起因した渦状のナノ磁気構造です。より詳しくいうと、スピンが急を覆い尽くすようにあらゆる方向を向いている構造である三次元のスキルミオンを二次元平面に射影した渦状のナノ磁気構造であり、キラルとアキラルの2種類が存在します。通常の強磁性状態からこの構造へは連続的に変形することができないため、スキルミオンは安定とされているそうです。また、磁壁移動よりも低い電流密度でスキルミオンを並進運動・回転運動させることができ、欠陥のピン留めサイトを避けて通ることができるためピンニングも起こしにくく、スキルミオンはナノオーダーサイズであるなど利点が多いそうです。
スキルミオンの有無を1と0にすることでメモリへの利用や、スピン波やスピン流でスキルミオンを操作することによる論理演算など、応用が期待されています。
シンクロトロン技術を用いた走査型透過軟X線顕微鏡装置(STXM)では、X線ビームを試料に照射して試料を透過したフォトンの量から試料中の磁気情報を得ることができるため、スキルミオンのイメージを観察できるとのことでした。
最後に実験で使用しているものを実際に見せていただきました。
まずスキルミオンを動かすシミュレーションと磁気力顕微鏡(MFM)で撮影された写真です。シミュレーションでは、スキルミオン同士が押し合っている様子なども見ることができました。
次に原子間力顕微鏡(AFM)です。AFMは、表面をスキャンして表面構造を分析します。磁化同士の相互作用により、スキルミオンを観測することが可能だそうです。また、測定にかかるのはわずか20分とのことでした。
・Magnonics (Dr. Anane & Dr. Spimah)
ここでは、Kerr顕微鏡について説明していただきました。
Kerr顕微鏡の操作手順についてです。はじめに、磁場を変化させることで磁区構造を変化させます。次に偏光を変化させることで、磁壁を観察することができるようになるそうです。Kerr顕微鏡について少し調べてみると、この顕微鏡は磁気光学カー効果(MOKE)を利用しており、異なるMOKE形状は異なる偏光を必要とするために、偏光を変化させる必要があるとのことでした。
今回は、実際に磁場を変化させて、磁壁が移動するのを見せていただきました。試料は厚さ20nmの磁性薄膜です。この顕微鏡ではアップスピンが白、ダウンスピンが黒のイメージとして検出されており、白と黒の境界線が磁壁となっています。磁場を大きくすると徐々に白のイメージが増大し、徐々に磁壁の数が減少し、最後は全て白となりました。また、磁場を減少させていくと再び磁壁が現れ、黒のイメージが増加していきました。磁場を大きくすることで、磁場の向きと試料中のスピンの向きが平行に揃うことを実際に目で確認することができて面白かったです。
Kerr顕微鏡の操作は非常に簡単だそうです。物理学の背後には高機能なコンピュータや、ナノ構造のファブリケーションやキャラクタリゼーションができる顕微鏡などが存在しますが、デバイスとして扱う分には難しくないとのことでした。
この研究室ではKerr顕微鏡を用いて、スピン波の挙動を調べるマグノニクスの研究が行われているそうです。マグノニクスは、コンピューターサイエンスで様々な応用が期待されているとのことでした。今回マグノニクスについての詳しいお話を伺う時間はなかったため、事後学習として調べてみたいと考えています。
・Spintronics for neuromorphic architectures (Miguel & Jacob Torrejon)
博士研究員であるJacob Torrejonさんがスライドを用いて研究内容について説明してくださいました。準備してくださったスライドには可愛らしいイラストがたくさん挿入されていました。プレゼンテーションをより親しみやすくするためとのことです。
ここでは、脳内での情報処理をもとにしたシステムの研究を行われています。スピントロニクスを用いて、メモリデバイスだけでなく、なにか新しく斬新な応用を考えたいと思い、この研究を行っているそうです。
現在のAIは確かに優秀ですが、消費効率という意味では、人間の脳の方が優れているといえます。例えばAlpha Goというコンピュータプログラムは、人間のプロ囲碁棋士に勝利した初のコンピュータ囲碁プログラムですが、囲碁の際に人間の脳は20Wで済むところを、Alpha Goは150kWものエネルギーを消費してしまいます。そこで、さらなる低エネルギー化を実現するために、脳の動作からインスピレーションを得ようというのです。
脳の情報伝達は、シナプスを介して結合しているニューロンが電気信号のやりとりをすることによります。このニューロンの動作のデバイス化には、膨大な数のナノスケールの非線形発振器が必要になります。そこで、非磁性層を強磁性層で挟んだFeB/MgO/CoFeBの三層構造で構成されるスピントルクナノ発振器を用います。電流を流すとFeB層では磁化の歳差運動が励起されるため、電圧として取り出すことが可能です(MTJs for emission & detection参照)。
インプットを方形波にするとアウトプットは1、正弦波にするとアウトプットは0、とすることに成功したそうです。異なるインプットにより、パターン認識の基礎となるメカニズムを解明しているのです。
Jacob Torrejonさんによるとこの研究は、イメージ分析や医学などに繋がる将来性があるとのことです。Bortolottiさんによると、Thalesとしては環境の動きを認識するシステムを作り、車などに役立てたいと考えているとのことでした。
最後にBortolottiさんから、今回の研究室訪問を行った感想を質問されました。UMPhyでは、訪問者には必ず最後に感想を述べてもらうそうです。ここで研究されている専門分野に詳しい人だけでなく、専門分野異なる人や一般人にも感想を聞くことで、異なる背景を持つ人に自分たちの説明がどう伝わったかを知ることができ、勉強になるとのことでした。
さまざまな研究室を私たちのために用意してくださり、ずっと一緒に回ってくださったBortolottiさん、非常に丁寧に説明してくださった教授や博士研究員の方々には感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました!