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文化施設訪問-上野美術展

6期の村松です!先日文化学習の一貫として、清原・池田と上野の美術展に行ってきました。他の2班と比べだいぶ遅くなりましたが、学んだこと等をここで共有できればと思います。
今回僕たちが美術展に行った目的は「歴史を文化的な側面から学ぶ」ということです。今後僕たちが社会人になる上で、日本の、そして世界の歴史を学ぶことは必須事項。その歴史のなかで、「美術」という分野が、当時の社会情勢を反映した遺産として非常に重要な役割を果たしてきたことは間違いないでしょう。その中からいくつかの画家の特別展示を視察し、歴史を、理系の僕たちの日常生活からは少し遠退いた視点から眺めることができればいいなと思い、今回上野に足を運ぶに至りました。

まずはじめに、事前学習で各々学んだことを共有しておきます。今回調査したのは、美術展が行われていたムンク、ルーベンス、フェルメールの3名です(フェルメール展は時間の都合上訪問がかないませんでした)。

ムンクについて

事前学習として調べたことを共有します。(一部内容は、展示を見た後に追加しています。)主な参考文献としては、wikipedia及びHUFFPOSTを参照させていただきました。

 

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エドヴァルド・ムンク(1863-1944)

ノルウェーが誇る画家

代表作 『叫び』

連作  『生命のフリーズ』

画風  世紀末芸術

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ムンクの生きた時代は、画家たちがリアリズムから、人の心の神秘へと向かった時代だと言われています。ムンク自身も人間の内面を描くことを目標としていて、20代でパリに留学した際にはサン=クルー宣言において、次のように述べています。『…これからは、…息づき、感じ、苦しみ、愛する、生き生きとした人間を描くのだ。…(wikipediaより抜粋)』この宣言の通り、ムンクは男女の愛や絶望感、孤独感、妬みなどをテーマとした数多くの作品を残しました。その他にも、自画像や肖像画を多く残しています。その彼の代表作、『叫び』はムンクの不安が極限に達した状態で描かれたと言われています。その作品は、『人が叫んでいるように見えるこの絵だが、実は、「自然を貫く果てしない叫び」に耳を塞いでいるのだという。(HUFFPOSTより抜粋)』このような不安の背景には、幼いころから家族を亡くし、死に近い生活を送ってきたことや、愛人との関係をこじらせ、銃の暴発事件に巻き込まれたことが多く影響しているそうで、神経衰弱で入院していたこともあります。また、彼は作品を連作として残しており、『叫び』もこの連作『生命のフリーズ』の一部でした。最後に、彼の芸術観を引用してムンクの紹介を締めたいと思います。

芸術は自然の対立物である。芸術作品は、人間内部からのみ生まれるものであって、それは取りも直さず、人間の神経、心臓、頭脳、眼を通して現れてきた形象にほかならない。芸術とは、結晶への人間の衝動なのである。(wikipediaより抜粋)

参考文献;

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF

https://www.huffingtonpost.jp/2018/10/04/munch-sony_a_23550298/

(清原)

ルーぺンスについて

ピーテル・パウル・ルーペンス(1577-1640)

ヴェストファーレン、ジーゲン(現ドイツ)で生誕、スペイン領ネーデルラント、アントウェルペン(現ベルギー)にて死去

ルーペンスはバロック期のフランドル(オランダ南部)の画家であり、外交官でした。また古典的知識を持つ人文主義学者、美術品収集家でもありました。7か国語を話すことができたので外交官としても活躍しました。ただここでは画家としての彼についての軽い紹介にしたいと思います。彼は1600年にイタリアに行き、古典、そして近代の巨匠の作品を、模写などを通じて学びを深めます。イタリアでの経験は彼に多大な影響を与えました。依頼で宗教的題材の歴史画を描くことが多かったのですが、彼は肉感的でふくよかな女性を作品に描くことを好んだといわれています。有名な「フランダースの犬」で主人公ネロが見たがっていたアントウェルペン大聖堂の絵画である『キリスト昇架』と『キリスト降架』、ネロが祈りをささげたマリア(『聖母被昇天』)いずれもルーペンスが描いたものだといえば皆さんにとってより親近感がわくのでしょうか。

代表作:『自画像』など

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B9

(池田)

フェルメールについて

今回訪問には至りませんでしたが、フェルメールについても学習したので、軽くここに書いておきます!

ヨハネス・フェルメール(1632?~1675?)

ネーデルラント連邦共和国(オランダ)

フェルメールはルーベンスと同じバロック期を生きた画家です。彼の画風は、写真のように写実的な質感と、厳密に計算された空間構成。のちの印象派などに大きな印象を与えました。ルーベンスと同じく、人を中心に置いた絵が多く残されており、光の陰陽から質感に至るまで、徹底的に現実に忠実に描かれています。一方で、背景など主題以外のものは、割りと簡素に描かれているのも特徴の一つ。こうすることによって、主題の人をより強調する画面構成になっているようです。

代表作:『真珠の耳飾りの少女』・『牛乳を注ぐ女』他

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB

(村松)

まず初めに訪れたのはルーベンス展。

 

多くの人でにぎわっていて、一つひとつの絵をじっくり鑑賞するのは難しかったけど、でもかなり観ることができたんじゃないかなぁ。

次に訪れたのがムンク展。いや、半端ないって。こんなに人だかりできひんやん、普通。

生の「叫び」を観ることができたのは、一生の思い出になるかもしれませんね。いや、それにしても人がすごかった…

ここからは、各自の感想や考えたことを書いていきます。

清原

こんにちは!6期の清原です。

今回の文化学習でのルーベンス及びムンクの特別展を見学してみて考えたこと等々共有していきたいと思います。

まず始めに、私は今回行き先が決定してから、グループでの目標とは別で、自分なりの文化施設訪問の目的を設定してみました。それは、「自分なりの芸術の楽しみ方を見つける」です。実は今回の美術館への訪問は、私にとって小学校以来となる超久しぶり!の訪問でした。実を言うと、私はあまり芸術には興味がなくて、日頃は特別な機会がなければまず美術館にはいかないタイプだと思います。友達が芸術的な活動にいそしんでいるのを聞くと楽しそうだな、おもしろそうだなとは思うのですが、何となく芸術は自分にとってはあまり身近なものではなかったし、難しそう…!と思って敬遠してきました。しかし、EPATSの渡航では多くの文化施設を訪問することになります。せっかく行くなら存分に楽しみたい!そう考えて今回このテーマを個人テーマとして掲げたのですが、結論から言うと、超楽しむことができました!!

まず、上野駅に到着。駅でチケットを買おうとして驚きました。長蛇の列!今週の上野では他にもフェルメール展など多くの特別展が行われていたのですが、それにしても芸術を楽しんでいる人がこれほど多いとは、新たな発見でした。

始めに向かったのはルーベンス展。正直あまり興味はなかったのですが、実物を見てみると予想外のことが多くあり、おもしろかったです。例えば、ルーベンス特有の肉感の出し方は、解剖学から緻密に考えられていたり、石の彫刻を参考にしながら、素材感の違いも気にされていたりと、背景にある知識の多さに圧倒されました。また、人を中心として視線を集めながら、宗教的・神話的なテーマの絵も多かったこともあり、背景に小さく映るモチーフに不気味さを感じたり、写実的な絵でありながらもどこか浮世離れしたようなものを感じたりすることができたのもおもしろかったです。

次に、ムンク展に向かいました。ムンク展では自分の期待していたものを良い意味で完全に裏切られたのが楽しかったです。私の予想では、ムンクは悲しみと絶望に溢れていて、絵は暗くてじめじめとしている、そう思っていました。実際に見てみると、ムンクの絵はとてもポップでコミカルな印象を受けました。じーっと眺めていると、確かに哀愁や不思議な感覚を感じないこともないですが、絵画のタイトルの割にすごく明るくて楽しげな印象を受けて、ムンクが絵画を通じて不安や恐怖といったものを笑い飛ばしていたのではないかと思ったほどです。あと、少し誇張された表情に注目するのもおもしろかったです。ムンクは人間の内面を表現する画家なので、感情表現の方法として参考にする見方もできてよかったです。

今回は2つの特別展を比較してみたことで浮かび上がってきたこともたくさんありました。そのうちのひとつが展示の仕方です。私は個人的に「場づくり」に興味があることもあって、今回も絵画そのものと同じくらい、展示の構成や空間の雰囲気づくりに目が行ってしまいました。ルーベンス展は厳かな雰囲気を醸し出すことに重点を置いていて、入ってすぐBGMが聞こえてくることもあり、どこか異世界にいったような、非日常を感じられるつくりになっていました。また、時代背景を説明するように、本人以外の作品も展示されたりしていて、知らない人でもある程度知識を得て帰ることができると思いました。一方のムンク展は、とにかく楽しむ!ということが主眼に置かれていて、斬新なセッティングがとても良かったです。例えば、展示室に入る前から、ニューラルネットワークを用いて作ったとかいうアニメーションが上映されていて、最新の技術を用いて現代の楽しみ方で楽しんでいこう!という気概が感じられました。また、小学生向けに、お絵かきボードを貸し出したり、展示室に入ったら壁一面がオレンジ色だったり、実はムンクは自撮りの元祖だった?と紹介してみたり、ポケモンがムンクのポーズをとっているハンカチを販売してみたり、ムンクポーズの撮影コーナーを設置してみたりと、とにかく私が感じていたような芸術へのハードルを下げて楽しませようというのが伝わってきて、すごく良かったし楽しめました。このような違いに注目できたのも、比較ならではのおもしろさだと思います。

最後に総括として、目標の達成度について。グループの目標については、事前学習を行ったこともあって、時代背景などを考えながら絵画の鑑賞ができたと思います。その中で、特にルーベンス展では、鑑賞しながらもっとギリシャ神話など、宗教的な部分、ルネサンス時代の政治的動向についてももっと知りたいと思ったので、これからそのあたりの教養を深めていきたいと思いました。個人的な目標としては、まだ1日では「自分の楽しみ方はこれだ!」というものは見つかりませんでしたが、いろいろと今後試したり、深めたりしていきたい楽しみ方のヒントは得られたと思います。例えば、ムンク展を見ていて考えたのですが、ムンクのように、絵画の色づかいを変えて楽しむというのを、タブレット端末で試してみたり、絵の横でポーズをとって写真に収めたりするのもよいと思いました。また、今回は考えたことをグループ内で共有するディスカッションも楽しく、「場づくり」の視点から眺めるのも楽しかったのでそういったものをこれからの自分の楽しみ方にしていきたいと思いました。本番の渡航へ向けて、芸術を楽しみながら、芸術からたくさんのことを学べたと思います。

池田

ルーベンス展感想
今までルーベンスの作品を見たことがない(と思います)私にとって彼の一連の作品に目を通すことは新鮮な体験でした。彼の作品は肉感を非常に重視しているということでしたのでそういった部分に注目しようと考えていました。実際に彼の作品を見て、彼がどれほどイタリアに影響されたかを実感しました。描き方や作品のテーマといったものがどれもイタリアの方にある芸術に沿ったものでした。もっともそれがこの展示の趣旨ではあるのですが。描かれている人間はラテン系のようであり、作品のテーマは神話、聖書などに因むものばかりでした。人間も細部に至るまで丁寧に描かれ肉感がとても強調されていました。全体を通して非常に見応えのある作品だらけでした。

ムンク展感想
私の知っているムンクの作品は、皆さんよくご存知の「叫び」だけでしたので他にどのようなものがあるのか興味深く思っていました。今回彼の作品を見て感じたのは彼が自分の感情に対して素直だ、ということです。もっともこれはあくまで個人的な意見ですが。展示では彼の作品がある程度時間軸に沿って並べられていました。面白いことに、彼の作品のテーマは時間を経るごとにどんどん変わっていきます。ただ変わらないのは描く対象が自身の姿、彼が抱いた感情、彼の体験に基づいたものばかりだということです。したがって彼の内面の変化が読み取れ、展示を通して一種のストーリーを読み進めた感覚を抱きました。作品ひとつひとつも個性的で見応えがありました。

両者を比較して
ルーベンスとムンク、2人の作品を見て回ったわけですが2人は全く異なる作風でした。ルーベンスにはイタリアで栄えていた芸術、そして当時の価値観というものが垣間見ることができるように思います。彼の作品は神の存在がまだ強く意識されていたのではないか、ということを考えさせられます。一方、ムンクは自身に関連のあるものしか描いていません。ルーベンスの頃より、自己の存在というものを意識するようになったのではないかと思います。そういったものに関して考えていくと、また作品の深みを実感しますね。

村松

僕は完全に美術素人なのですが、素人なりに今回感じたことを率直に書いてみます。

まずルーデンス展について。ルーデンスの絵は、「人間」の「質感」の「リアルさ」を徹底してこだわりぬいた、そんな印象を受けました。どの絵も一貫して人間を中心に据えており、背景はその主題を引き立たせるための舞台。中心にいる人間は肉眼から陰影まで、イタリアの古代彫刻を参考に忠実に再現されていました。特に印象に残っているのが、「獅子を引き裂くサムソン」という絵画。簡素な背景と、筋肉の肉肉しさまで緻密に表現されたサムソンと、サムソンに引き裂かれようとする獅子が織り成すこの絵は、まさに近代の人間中心主義を象徴する画であると言えるのではないでしょうか。

一方で彼の作品にはキリスト教をモチーフにした絵もあり、ヘラクレスやヴィーナスを初めとした神々を主題に据えたものが多く見られました。人間の生々しさと神の荘厳さという、2つの一見対立しそうな要素が絵のなかに共存しており、一刹那の中に蠢く躍動感を感じました。色彩も本物の人間や世界に忠実で、まさに「上手い」の一言に尽きる絵の数々であったように思います。

一方で、彼の絵はムンクと比較すると統一感があってシンプルであり、他のバロック期などの画家と類似している、そんな印象もありました。

一方のムンクは、ルーデンスとは対照的な画風でした。彼の絵は、それを通じて観る人にメッセージを与える、そんな印象を受けました。写実的な絵も勿論ありましたが、大半のものは「リアルさ」よりもそこに込められた「感情」が重視されており、質感もそれに応じて変化しているように感じました。色彩も感情が強く反映されており、「そこにこの色を使うのか!」という発見が数多くあったように思います。

彼の時代には写真という概念が登場しており、写真には投影できない人間の内部を絵を通じて表現しようとしたのかな、などと感じました。彼の「叫び」を観ると、彼の中の絶望感や苦しみが、手に取るように分かる。そこに彼の絵の価値があるように思いました。

2つの画家の絵に優劣をつけることなどできません。でも、どちらの絵にもその時代が反映されており、歴史と絡めて観ることで新たな知見が得られた気がします。今まで美術展に来るときにこんな考え方をしたことなんてなかったかな。色々知識を得てから絵画を観ると、絵画からまた語りかけてくれる感じがあって、奥ゆかしさを感じました。

今回文化施設に訪問した目的は、「美術を通じて歴史を学ぶ」ため。「歴史を知る」ことは文化学習が始まってから常々言われ、意識をしてきたことです。ではなぜ「歴史」を学ぶのか。きっとそこには様々な理由があるとは思いますが、自分は次のようにとらえています。歴史は所詮過去に過ぎないが、過去であると同時に現在や未来と常に因果関係にある。この「因果」の文脈を自分なりに読み取ることで、社会において自分が何をなすべきなのか、その答えにたどり着くうえでのヒントへと昇華させる。当たり前のことかもしれませんが、そこにこそ歴史を学ぶ価値があると僕は考えています。

小さいころ美術館を訪れた際には、ただ「すごいなぁ」としか感じなかった1枚の絵。そこにはその当時の社会を反映する考え方があり、またその画家自身の哲学がある。今回の美術館訪問は、美術への向き合い方を知ると同時に、良い歴史学習になったのではないでしょうか。まだまだ今回学んだことを消化し、昇華させるのには時間がかかりますが、渡航と将来に向けての礎にできればいいな。長々とした駄文とお付き合いいただきありがとうございました。

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