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文化施設訪問<浜離宮恩賜庭園>

こんにちは!

本日はEPATS 6thの住友、田坂、佐藤の3人で「浜離宮恩賜庭園」を訪問してきたので、その報告をさせていただきます。

 

まず、浜離宮恩賜庭園と、日本庭園、西洋庭園の概要についてです。

 

浜離宮恩賜庭園
潮入の池と鴨場をもつ江戸時代の代表的な庭園です。寛永年間まで鷹狩りの場として使われ、今の形になったのは十一代将軍家斉の時です。[住友]

 

 

日本庭園の特徴
日本庭園の構成は、池を中心として土地の起伏を増やし、庭石や草木などにより四季折々の景色を作り出すのが一般的です。浜離宮恩賜庭園でも土地の起伏、旬の時期が様々な花などが見られました。また、冬のものとしては松を雪の重みから守る雪吊りが見られました。また、浜離宮庭園は江戸時代に作られたもので、その時代性がよく現れていました。例えば、大池泉を中心に作られていること、庭園の中に茶屋があることなどです。潮を取り入れた庭園も江戸時代の庭園特有のものらしいです。[田坂]

 

西洋庭園の特徴
日本庭園に対して西洋庭園、特にフランス式庭園では幾何学模様や左右対称であることが重要視されていて、人工的であるということが大きな特徴です。この背景にあるのは、自然を文明の力で支配するという考え方のようです。さらに、キリスト教の考え方としてもシンメトリーや幾何学模様の整然とした形は善や真などにつながるものと捉えられるようなので、西洋庭園にそれらの傾向が強いことも納得がいきます。[佐藤]

 

 

実際に浜離宮恩賜庭園を訪問することで感じた疑問などについて、話し合ったことや考えたことをそれぞれまとめました。

 

田坂

ディスカッションでは日本庭園の「わび・さび」について考えました。わび・さびとは飾らない簡素なものを好む日本の美意識です。そこで、現代人にとっての日本庭園について考えました。浜離宮恩賜庭園は汐留にあります。汐留は東京の中でも多くの高層ビルが立ち並ぶ街です。庭園の高台から周りの景色を眺めると、富の象徴のような高層ビルが多く見られます。庭園自体は「わび・さび」の心を持って作られていますが、庭園を訪れても最早その心を感じるのは難しくなって来ているのではないでしょうか。浜離宮に限らず、日本庭園の多くは、庭園周辺の景色が変わってしまっています。「わび・さび」を感じられる場所も少なくなったことを実感しました。

 

佐藤

浜離宮恩賜庭園の特徴の一つである潮入り池について、なぜ一般的な淡水池でなく海水を取り入れた池を作ったのかという疑問があがり、考えました。

まず考えられるのは庭園の立地です。浜離宮恩賜庭園は海辺に立地していて、そもそも埋め立てによってつくられた庭園です。そのため、池には海水を用いるのが楽だったと容易に想像つきます。実際、潮入り池は浜離宮恩賜庭園のみならず、海辺の庭園では広く用いられていたようです。
しかし、それでは潮入の池をつくる理由としては弱いように思えます。なので、もっと根本的な意味があるのではないかと考えました。

そこでまず考えられたのは「無常」の考え方です。日本人は「その時にしか見られない景色」に価値を見出します。実際、浜離宮恩賜庭園にある潮入の池では、潮の満ち引きによって池の様子が変わるのを楽しむことができます。無常を表現する手段の一つとして、潮入の池が庭園制作に取り入れられたのではないでしょうか。

また、日本庭園の「自然に敬意を表し、受け入れる」という特徴の表れではないかとも考えました。日本庭園と西洋庭園を比較すると顕著であることの1つが、日本と西洋における自然の捉え方の違いです。日本では自然を敬うのに対し、西洋では自然を支配するという傾向がみられます。その要因の1つは地理条件の差ではないのではないでしょうか。日本ではかつてから地震や台風、火山噴火など自然の脅威を感じる状況が多く存在していました。一方、西洋は気候も安定し、日本のような自然災害はほとんど見られません。この差が、自然観の違いを生んだのではないでしょうか。地理条件の差が文化に現れたものの1つが庭園であると考えました。

あまりなじみのない日本庭園へ足を運んだことで、日本人の価値観についても考えさせられました。

 

住友

最後に鴨場についてディスカッションいたしました。今回浜離宮恩賜庭園を見学したいと考えた理由の一つに鴨場があるといことがありました。さてまず事前学習では浜離宮恩賜庭園の鴨場はアヒルを使い水路に鴨を追い込み飛び立つ瞬間に網でとるという形で行われているということを知りました。また明治時代以降は外交の手段として使われているということも知りました。

実際行ってみて気づいたのは鴨場と鴨の多さです。調べたものより多かったです。江戸時代、明治時代での鴨食がよく根付いていたことがそのことや、展示からもよくわかりました。ディスカッションで私たちはなぜこの庭園に鴨場を作ったのか、そして鴨狩はなぜ行われたのかという疑問が上がりました。


庭園のすぐそばに海があり、そこから多くの水鳥が今でも庭園の池に飛んできます。浜離宮では前述した通り鷹狩りをする場でした。江戸時代まではその鷹を使い集まってきた水鳥、主に鴨を捕まえていました。それが、鴨場がこの庭園にできた理由なのではないでしょうか。
今でも鴨肉は食べることはありますが、そこまでよく食卓に出るものでもありません。しかし江戸時代では現在よりはよく食べられていたようです。江戸時代生類憐みの令により肉を食べること自体敬遠されていました。しかしなぜか鴨肉は禁止されていなかったために(なぜかは中々調べても出てこなかったので後々の課題。)鴨肉は江戸時代のタンパク源としては主流だったそうです。

今回天候もあまり良くなかったので残念でしたが、日本式、洋式の庭園の違い、また鴨の歴史など知れてすごく良い経験になりました。次は西洋の庭園も行ってみたいです!

 

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