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11期 文化体験 吉田郁美

こんにちは。11期の吉田です。

先日、文化体験として歌舞伎を鑑賞してきました。それについて、報告をさせていただきます。

今回私は、東京都中央区銀座にある歌舞伎座にて、「猿若祭二月大歌舞伎」の夜の部の公演を鑑賞してきました。文化体験の対象として歌舞伎を選んだ理由としては、日本の演劇形式の芸術として、能楽や文楽、歌舞伎、組踊等が代表して挙げられますが、私はそのどれも体験したことがなく、詳しく知っているものもないことに気がついたからです。美術や芸術は、発祥した由来から変化する過程まで、その国や地域の歴史や思想に相互に影響しています。このような芸術の面からも、日本と海外を比較できる程度に作品や芸術様式の知識を身につけることは、別の地域に住む人々をより深く理解することや、自己をより正確に認識して他者に伝えることにあたって、役に立つと考えました。

  • 事前学習

事前学習を通して、歌舞伎について簡単に説明します。まず、歌舞伎というのは、言葉の漢字の通り、音楽、舞踊、芝居で成り立つ演劇です。流行の最先端の派手な格好をしたり、大きな刀を持って街を歩いたりしていた若い男である「かぶき者」に扮して踊る「かぶき踊り」が歌舞伎のルーツと言われています。この「かぶき踊り」は出雲の阿国によって京都で1603(慶長8)年に始められたとされ、庶民の間で大人気になりました。当時は、女性たちの「女歌舞伎」や、少年たちの「若衆歌舞伎」もあったのですが、風紀を乱すという理由で幕府に禁止されたことで、成人男性中心の「野郎歌舞伎」が登場し、その後400年にわたり、すべての役を男性が演じる演劇として育まれました。女性の役をつとめる俳優を「女方」、男性の役をつとめる俳優を「立役」と呼びます。後述しますが、私が今回観劇した公演のひとつには、かぶき踊りを始めたと言われる出雲の阿国が登場します。

歌舞伎では舞台にも様々な仕掛けが施してあります。まず有名なものとして、場面転換の際に廻る機構である廻り舞台があります。その廻り舞台上には、複数の長方形を組み合わせたような形の、上下方向へと移動することで俳優や大道具を登場させるセリ、というものがあります。舞台の左右端には人が入る空間があり、それぞれ、左端は演奏する人が入る黒御簾、右端には語り手と三味線を引く人が入る床というものになります。舞台から観客席左手にかけては、橋のように渡れるところがあり、これを花道といいます。舞台と逆側の突き当たりや、花道上にもあるセリによっても、俳優が登場することがあります。今回は座席の位置により、花道はあまり見えなかったのですが、花道上にもあるセリを七三といい、見得をきったりする重要な場所なのだそうです。実際、舞台に花道側から俳優が登場する少し前(つまり、座席的に見えてないが花道に俳優がいると思われる時)に、度々見得をきる際に流れるような音楽と拍手が起こっていたので、今回は確認できませんでしたが活躍する頻度が高そうな舞台装置でした。次また見に行く機会があったら花道のみえる位置を意識して(おそらくお財布には痛くなってしまいますが笑)、座席を選んでみたいと思います。

次に各演目とそのあらすじについて書きます。

  • 猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)

前述ででてきた、歌舞伎のルーツである出雲の阿国が出てくるとてもめでたい物語です。短めではありますが、お話の筋が分かりやすく、途中で入る舞踊が華やかでとても見てて楽しいものでした。

あらすじ

猿若と「かぶき踊り」で京で評判となった出雲の阿国の一座は、江戸へ向かう道中、困っている福富屋夫婦と出会います。聞けば、江戸城に献上する品を載せた荷車を引けずに困っているようでした。そこで、猿若は若衆を呼び寄せ、得意の音頭を取って荷物を運ばせます。それを見ていた奉行が、猿若たちの行いを誉め、芝居小屋に適した場所を探していることを知ると褒美として江戸中橋の所領を芝居小屋開設のために与え、江戸での興行を許可します。福富屋にも芝居小屋の建築材料の調達を任せます。喜んだ猿若は、お礼として舞を披露します。

  • 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら) すし屋

義経千本桜という、源平合戦後に、兄・頼朝と不和となった源義経の都落ちをきっかけに、生き残った平家の武将たちとそれに巻き込まれた者たちの悲劇を描いた5段からなるかなり長い演目のうち、今回は3段目の一部である、すし屋の段を観劇しました。3段目の一部といってもこのお話が公演の中でも1番長く、心揺さぶる見応えのある演目でした。親子の間の情や昔の恩に報いようとする想い、世の中の流れに翻弄される庶民の痛ましさなど、1つの演目の中にかなり濃い要素が詰まっていました。私は、今回の演目の中ではこれが一番お気に入りです。

あらすじ

釣瓶鮓屋の弥左衛門の家では、弥左衛門の女房と娘のお里が家業の鮓の商いに励んでおり、奉公人の弥助と晴れて夫婦となる娘のお里が、父の帰りを待っているところです。弥助が戻り、お里が早速女房気取りで話をしていると、そこへお里の兄の権太が父である弥左衛門の目を盗んでやってきました。母親は、権太がまた金の無心にきたのだろうかと機嫌を悪くしますが、権太は、年貢を盗み取られ、死罪になってしまうと言って嘘泣きをし、母親に銀をせびります。甘い母親は息子を疑いながらもその話を信じ、夫に内緒で銀を与えたところに、折り悪く、父である弥左衛門が戻ってきます。権太はとっさに並んである鮓の空き桶に銀を隠し、奥へ身を隠しました。弥左衛門は、秘かに持ち帰った小金吾の首を鮓の空き桶に隠し、下男である弥助を上座へ座らせ、語り始めます。実は、弥助は平重盛の子息三位中将維盛でした。弥左衛門はこれまで弥助を平重盛への昔の恩義ゆえかくまってきたと打ち明け、さらに詮議の手が迫っていることを告げます。そこへお里が出てきたので、弥左衛門は維盛を残して奥へと入ります。弥助は本当は妻子をもっており、それについて思い悩んでいるうちに、お里はさきに布団で横になり寝てしまいます。そこへ宿を願う女の声がします。それは弥助の妻子である六代君と若葉の内侍でした。内侍は夫との再会を喜びつつ、お里が寝所にいることに疑念を抱きます。「かくまってくれた返礼に、お里の恋に報いたのだ」と語る維盛に、これを聞いていたお里は「弥助が維盛だと知らされていれば、身分違いの恋は諦めた」と嘆きます。ところがそこへ村役人が来て、鎌倉の武士梶原平蔵景時が来ると告げて去っていきました。これを聞いたお里は、維盛らに弥左衛門の隠居所に行くよう勧め、維盛たちはその場を立ち退きます。奥に潜んで様子を聞いていた権太は、維盛たちを捕まえて褒美にしようと、銀を隠した鮓桶を抱え駆け出しました。そうこうしているうちに、すぐに梶原平三景時が到着してしまいます。梶原が弥左衛門と問答し、維盛の首を討って渡せと迫ります。すると弥左衛門は、維盛はもう首にしてあるといい、鮓の空き桶に隠していた小金吾の首を出そうとします。しかし、弥左衛門の妻は、その桶に内緒で権太に与えた銀が入っていると思い、弥左衛門が桶を開けることを阻みます。景時はそれを怪しく思い、捕らえようとしたとき、権太が維盛を討ち取ったと首桶を抱え、内侍母子に縄をかけて現れます。梶原は差し出した首を改め、褒美として親である弥左衛門が維盛をかくまった罪は許してやるというが、権太は親の命はいらぬからほかの褒美がほしいというので、景時は着ていた源頼朝の羽織を与えます。景時はそうして去っていきました。逆上した弥左衛門は、権太を刺します。すると、権太は苦しみながら本心を打ち明けます。権太は家で身を隠すうち、維盛と弥左衛門の身の上を聞き、今こそ改心する機会と思い、母からせしめた金を維盛の逃走資金にしようと桶を持ち出したのでした。しかし、権太は偽首の入った鮓桶を取り違え、これを維盛の身替りとして景時に差し出したのです。そして縛って渡した内侍六代とは、自分の妻子である小せんと善太だったのです。権太が笛を吹くと、それを合図に維盛たちが駆けつけてきます。権太は、2人に縄を掛けた時の血を吐くような辛さや、小せんが自分たちを内侍六代の身替りとするよう自ら願い出たことを語ります。弥左衛門夫婦は、名乗り合うこともなかった嫁や孫を想い悲しみます。維盛は、頼朝の羽織を裂こうとすると、その裏地には、小野小町の和歌が記されています。陣羽織を改めると、そのなかには袈裟衣と数珠が縫いこまれていました。かつて、平重盛に命を助けられた頼朝が、その恩返しとして維盛の命を助け、出家させようとしたのです。権太は命を賭けた騙りが、最初から見破られていたと悟ります。維盛は高野山へ出家し、弥左衛門は内侍と若君の供をして旅立っていきます。権太は、母とお里の介抱も空しく、息を引き取ります。

  • 連獅子(れんじし)

最後には、歌舞伎の代表的な演目の一つである連獅子が公演されました。書籍やテレビ等の映像、メディアでよくみられる白い顔に派手な真っ赤でふさふさとした長い髪をもつ、勇猛そうな獅子の衣装がとても印象的でした。親子の獅子が舞うのですが、背丈では幼く見える役者と大人の役者が息を合わせて髪を振り回すシーンには、かなり迫力があり、合わせた音楽も猛々しくとても華やかでした。また、間に挟まる狂言もコミカルで、度々沸き起こる笑い声とともに笑ってしまいました。

あらすじ

まず、舞台に狂言師の右近、左近が登場し、二人は厳かに舞い始めます。その舞は、文殊菩薩の霊山清涼山にかかる石橋を描写します。手にした手獅子の毛と衣で親子の獅子を表し、獅子の子落とし伝説を再現します。獅子の子落とし伝説というのは、獅子がわが子を谷底に落とし、這い上がってきた強い子だけを育てるというものです。2人が舞い終わると、蝶々を追って花道へ帰っていきます。次に、間狂言となります。清涼山の頂きを目指す法華宗と浄土宗の2人の僧が麓にて遭遇し、一緒に清涼山を登りはじめます。最初は和やかに話をしていますが、お互いの宗門が対立している法華宗と浄土宗であることを知ると、宗旨の優劣について言い合いを始めます。法華宗の僧が団扇太鼓を叩いてお題目「南無妙法蓮華経」を連呼すると、浄土宗の僧が叩き鉦を打って念仏「南無阿弥陀仏」を繰り返し唱えて応じます。いつの間にか、題目と念仏を取り違え、入れ替わって唱えるというコミカルな展開へと続きます。そうしているうちに暴風が吹き始め、二人の僧は慌てて逃げ、舞台から去ります。最後に、江戸浄瑠璃の一派である大薩摩が力強い三味線とともに石橋の様子を描写します。やがて勇壮な姿の親子の獅子の精が登場します。親子は牡丹の花の匂いをかぎ、やがて狂いと呼ばれる激しい動きを見せます。そして牡丹の枝を手に、芳しく咲く牡丹の花や、それに戯れる獅子の様などを描きます。最後に、親子の息を合わせて長い毛を豪快に振り、獅子の座について幕引きとなります。

 

今回は、歌舞伎を通して伝統的な日本文化について学ぶことが出来ました。歌舞伎にはかなり仰々しいイメージや、知識がないと楽しめない、といったような敷居の高い印象を持っていましたが、案外気楽に楽しめる開けた文化なのだという印象に変わりました。日本を代表する素晴らしい伝統芸能であることは間違いないのですが、視覚や聴覚から純粋に受け取る情報だけでも面白く、庶民の間で流行して広まったという歴史を思い出して納得するほどでした。これは私の話なのですが、実は高校の頃、文化体験というような名目で歌舞伎を見に行こうという授業があったのですが、その日の朝に高熱を出してしまい、行くことが叶いませんでした。それもあり、歌舞伎は学校として見に行くような伝統芸能であり、日本人が授業という形でさえ通る道であるのに私は見たことがないのだ、と気にしていた節がありました。そのような気がかりも、今回の文化体験にて解消することが出来ました。次にまた見に行く機会があるとしたら、花道のよく見える席で見てみたいと思います。きっと席を少し変えるだけで、がらっと違う景色が見えるようにも思いました。

これからも歌舞伎以外にもたくさんの日本文化に触れ、知識・経験ともに増やしていき、そして、今回学んだものやこれから触れる日本文化について、渡航の際に限らず活かせる場面を見つけていきたいと思います。

あらすじなど、説明が少し長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

  • 参考文献

松竹株式会社.“猿若祭二月大歌舞伎”. 歌舞伎公式総合サイト 歌舞伎美人. https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/856#cast, 参照:2023-04-01

宗像陽子『義経千本桜 』~すし屋 権太の悲劇が涙を誘う~あらすじとみどころ”. はてなブログ. 2022-07-31. https://munakatayoko.hatenablog.com/entry/2022/07/31/150911#google_vignette, 参照:2023-04-01

阿部さとみ連獅子”. 歌舞伎演目案内. https://enmokudb.kabuki.ne.jp/repertoire/1529/, 参照:2023-04-01

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