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文化体験ー歌舞伎座ー

 

こんにちは。EPATS 9期の石川、谷、永井、和田です。先日、文化学習として歌舞伎を見に行きました。

 

【目次】

  1. 文化学習とは
  2. 歌舞伎座について
  3. 演目紹介(お江戸みやげ)
  4. 演目紹介(須磨の写絵)
  5. 歌舞伎のメイクについて

 

 

1.文化学習とは

文化学習では、日本の文化について学びます。海外渡航前に日本文化について学ぶことで、海外渡航中に海外の方に日本について話せるように準備をします。

 

2.歌舞伎座について

私達は東京都中央区銀座にある歌舞伎劇場、歌舞伎座へ行ってきました。この建物は1階から3階までの劇場部分は和風な雰囲気であるのに対して、その上は近代的な雰囲気のオフィスタワーであり和洋折衷なデザインとなっています。歌舞伎座は過去に何度も建て替えられていて現在のものは第5期目だそうです。第5期の歌舞伎座は、第三期からの意匠の流れを踏襲し、第4期の劇場が意見を極力再現しています。第5期の歌舞伎座の設計には、国立競技場や滝プラザなどを設計した建築家、隈研吾が携わっています。

 

3.演目紹介[お江戸みやげ]

今回、私達は2つの演目を見ました。一つ目の演目[お江戸みやげ]について紹介します。

【あらすじ】

「湯島松ケ枝」

湯島天神境内の宮地芝居が美貌の役者坂東栄紫を迎えて好調な入りである。

芝居茶屋を兼ねてる茶屋の松ケ枝も、参詣客やら芝居の見物客やらで大賑わいだ。

そこに、常磐津の師匠をしている文字辰が養女のお紺を捜しにやってきた。

そのお紺、実は松ケ枝の奥にいた。親が進めようとしている妾話などまっぴらで、互いに好きあう栄紫と上方へ行って所帯を持とうと約束しあっていたのだ。

さてさて、そんな松ケ枝でひと休みしていた中年の女行商人ふたり。

万事におおらかなおゆうと、万事金勘定が先に立つお辻の、凸凹コンビだ。

江戸みやげにと、栄紫の「お染の七役」を見ることにする。

 

「松ケ枝の座敷」

舞台を見て、なんと堅物のお辻の方が、すっかり栄紫に惚れ込んでしまった。

栄紫にひと目逢いたいと松ケ枝の女中に頼んだら、逢えることになったと有頂天。

こんなことは一生に二度とないだろから御祝儀もケチケチしない、とまるで人が変わったようだ。やがて、栄紫が部屋にやってきた。

あこがれの役者を前に、緊張して堅くなり、お辻はペコペコと頭を下げるばかり。

そんなお辻の手を栄紫が取るから、あまりの感激に震えてしまうお辻。

酒を酌み交わしながら話をしているうちに、栄紫もお辻に好意を抱くようになる。

と、そこへ、「見つけられた」と言って、お紺が飛び込んできた。

あとを追って文字辰も踏み込んできて、「かどわかしだ」といきり立ち、

「今すぐ二十両出せば許してやる」と栄紫に無理難題をふっかけた。

もちろん栄紫にそんな大金が出せるわけがない。そのとき、

「ふたりを夫婦にしてくださいまし」とお辻が財布を差し出した。

財布の中には十三両三分二朱。お辻が汗水たらして稼いだ虎の子のすべてだ。

栄紫やお紺はもちろん、かけつけたおゆうも心配して止めるが、お辻は、一世一代の心の狂いだから、と財布を投げ出すのだった。

 

「湯島天神境内」

生まれて初めて男に惚れたのだから金なんて惜しくない、と満足気に自分に言い聞かせるお辻。そのお辻を追いかけて栄紫がやってきた。

ひとかたならぬ親切に礼を述べ、長襦袢の片袖を引き裂いてお辻に渡すと、お辻は小娘のように喜んで受け取った。栄紫の片袖がお辻の江戸みやげとなった。

 

この作品は第一回直木賞受賞作家である川口松太郎によって作られ、昭和三十六年(一九六一年)に明治座で十七世中村勘三郎がお辻、十四世守田勘弥のおゆうの配役で初演、その後歌舞伎座でも上演し、好評を博しました。平成では、七世中村芝翫が六度にわたってお辻を演じました。今回の上演は、六世中村歌右衛門二十年祭、七世中村芝翫十年祭ということで配役も特別なものになっていました。お辻役には七世中村芝翫の次男である、八世中村芝翫。おゆう役には、七世中村芝翫と初上演でお辻を勤めた十七世中村勘三郎の孫である六世中村勘九郎。同じくお二方を祖父にもつ二世中村七之助が阪東栄柴役を勤めていました。

 

この演目を見た感想としては、酒や色恋というものは人間を大きく変えてしまい(たいてい悪い方向に)それによって後悔することは多々あると思うが、それこそが人間味というものではないかと思いました。演目中に出てくるさまざまな人の決して合理的ではないが、栄柴やお紺のことを思っての行動の数々が見られ、非常に人情にあふれる作品であると思いました。

 

4.演目紹介No.2[須磨の写絵(すまのうつしえ)] 

 次に,二つ目の演目である”須磨の写絵”について紹介します。

 この作品は二世桜田治助の作詞、清沢万吉の作曲、初世藤間勘十郎の振り付けにより、市村座にて1815年5月本名題『今様須磨の写絵』として初演されました。

 阿保親王の第二子であり、六歌仙の一人として有名であり、『伊勢物語』のモデルになったことでも有名な在原業平(ありわらのなりひら)の兄に当たる人物である、在原行平を主人公とする作品です。平安前期の公家である行平が須磨での蟄居の折に出会った姉妹、松風と村雨の行平への思慕の念を描いた能の名曲『松風』を素材にした”松風村雨物”と呼ばれる作品群のうち、代表的な作品でした。

『百人一首』第十六番としても知られる

  ー立ち別れ いなばの山の みねにおふる まつとし聞かば 今帰り来むー

の一首が記された短冊を残し、後ろ髪を引かれる思いで去っていく行平の切なさと、松風と村雨の行平への恋慕の情の巧みな表現に感服いたしました。

 

5.歌舞伎のメイクについて

歌舞伎といえば、白粉を塗った肌に真っ赤な隈取、といった印象を持つ人は多いと思います。歌舞伎には、赤、青、茶色ベースの隈取があり、肌のベースの色も真っ白から肌色まであります。基本的には役者は自分の顔の骨格にあった化粧を自らの手で行います。また、化粧の方法は歌舞伎の世界における家系によっても違いがあります。

 この隈取は、人形浄瑠璃の人形から得た発想で、顔の骨格や特徴を誇張するために歌舞伎に取り入れられました。種類は約100にも上り、登場人物の性格を表現する役割もになっています。赤はベースのものは、正義感、勇気、荒々しさを有す見方の人物に多く見られます。青色の隈取は敵役に使われ、悪や嫉妬を表します。茶色は、妖怪と動物役に使われます。

 ここで代表的な隈取を幾つか見ていきましょう。

<筋隈>

怒りや力強さを有す役に使われます。鼻筋や額、頬に筋が何本を引かれていることから筋隈と呼ばれており、代表的な隈取の一つになっています。

<むきみ隈>

正義感あふれた役に使われます。目あたりが買いをむいた身いた見に似ていることから「むきみ」と呼ばれている。

<一本隈>

力強さと腕白さを両方を持ち合わせたキャラクターに使用されます。頬から額にかけて一本筋の赤い隈を描くので一本隈と呼ばれています。

<二本隈>

眉に沿ったラインと、目頭から眉毛に沿った2本の隈を取るのが二本隈です。冷静で、大人びた性格と強さを表す隈取です。

<公家荒れ>

続いて青色の隈取です天下を転覆させようとする公家の悪役に用いられます。青色の筋は不気味さと冷徹さを感じさせます。眉を太く濃く描くことも特徴です。

<変化隈>

獣役の代表的な隈取です。口を大きく見せような工夫がこなされています。

獣や妖怪の役は茶色だけではなく、猿隈など赤色ベースの隈取もあります。

 

*肌の色について

一般的に白粉を塗っている役は身分が高い人、町民や武士などは地肌に近い、または茶色の色をしています。また女方の役者は顔が真っ白の場合が多いです。

 

今回見た江戸みやげと須磨の写絵では、残念ながら隈取を見ることはできませんでした。(時代劇ものに多く見られるそうです。)しかし、肌の色などの化粧について幾つか考察していこうと思います。

*江戸みやげ

 お紺、常陸津文字辰など、ほとんどの役者の方は白粉を塗っていました。しかし、主人公のお辻、おゆうの方々は地肌に近かった印象を受けました。これは二人が田舎から江戸に来たということで、高貴でないことを表しているのではないかと思いました。

 席が舞台から離れていたため、化粧の細かいところまで見ることはできませんでしたが、パンフレットの役者を見ると、女方の方は口紅を塗っている人が多かったのですが、お辻、おゆうさんたちは塗っていませんでした。これも、所謂「田舎者」であることを意識しているようでした。

*須磨の写絵

 在原業平、二人の海女の3人が登場。在原業平が、江戸みやげに出てきた登場人物よりも真っ白であったことから(光の加減よる影響もあるかもしれません。)、より高貴であることが強調されていたと考えられました。

 

<参考文献>

文化デジタルライブラリー 初めての歌舞伎 隈取

https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc25/jp/kumadori-makeup/types.html#f

隈取メイクの種類 色の意味や意外な由来も

 

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